26歳で税理士登録してあっという間に21年たちました。昭和から平成にかけてのバブルにこの世界に入り、様々な経営者と天国と地獄をともに歩んできました。時代の流れとともにビジネススタイルは変化し、消費動向、人材の確保、税制、金融機関の対応など企業を取り巻く環境も激変しています。開業当時に苦い経験を二つしましたが、その経験が今日の税理士としてのポリシーにつながっています。
ここでは、そのうちのひとつをご紹介したいと思います。それは、ある経営者の命を救えなかったことです。
勘のみでの社長の暴走
その方は、ある金融機関からのご紹介の運送業のお客様でした。小規模なM&Aの繰り返しで配送ルートを拡大していき順調に見えましたが、そのM&Aは実は「社長の勘」のみに頼っていたのです。
買収規模が大きくなるにつれて配送ルート、委託先との関係、クルマとドライバーの質だけでなく「財務内容」の把握が必要であるにもかかわらず、「売上拡大」に重点をおいていたため財務内容の把握がおざなりになっていったのです。心配になった私は、先方の財務内容の詳細を求めましたが、社長に「うちには帳簿つけしかできない経理しかいないので、先生見てきてよ!」といわれ先方に出向きました。
議事録がいつのまにか・・・
当然、先方は差し支えない情報しか開示してくれませんし、「社長との間で話がついている!」の一点張りでした。財務内容の把握もままならぬ状況でM&A契約はどんどん進みます。話をはやく締結させたい先方は、アドバイザーや顧問と称する怪しげなオジサン(金融ブローカー)を次々と出してきて契約書にサインを求めてきましたが、私は反対し続けました。結局、契約書にはサインしませんでしたが、議事録に「営業譲渡の方向で両社検討する」という文言をいれてその日は終了しました。
続々と内容証明が・・・
ところがその翌日から、債権者からの「期限の利益の喪失に伴う一括返済の内容証明」がぞくぞくと届くようになり、その数は30通にものぼりました。議事録の文言が「M&A契約」と置き換えられたのか、悪質な金融業者が次々とそのスジの方々に債権譲渡を行ったのか定かではありませんが、法律的には無効な行為を繰り返し、ジャンジャン電話と訪問攻撃を仕掛けてきたのです。弁護士の先生にも対応をお願いしていましたが、それとは別に社長が個別交渉を進めたため金融機関や得意先も巻き込んで最悪の事態となりました。
ついに音信不通に
豪傑社長も、毎日資金繰りに追われ元気がなくなり、ついに姿を消してしまいました。奥様が捜索願をだして半年後のある朝5時ごろ、高校2年生の息子さんが社長の部屋の物音に気づき、様子を見に行こうとしたら、庭で灯油をかぶって火だるまになっている父親の最期を見届けることになってしまいました。
そしてワンストップサービスへ
実務経験の乏しい32歳の税理士は、暴走する社長に事の重要性をうまく伝えられなかったこと、金融ブローカーの登場に気づかなかったこと、法律的なアドバイスが未熟だったことなど悔やんでも悔やみきれないほどの後悔だけが残りました。そして「税務会計のアドバイスだけでは会社は救えない。あらゆる交渉ごとや意思決定の支援ができなければ・・・」と痛感しました。この苦い経験を活かし、法律、人事労務、登記、特許、金融、不動産、保険の専門家とアライアンスを組み、チームでワンストップ対応できるよう体制を整えました。それが現在のアーク&パートナーズの基本となっています。
| 1962年5月 | 新潟県長岡市生まれ |
| 1985年3月 | 中央大学商学部 会計学科卒業 |
| 1985年4月 | 大手会計事務所勤務 |
| 1990年2月 | 税理士登録 |
現在に至る
東京税理士会京橋支部 所属
登録政治資金監査人
ダイビング
(PADI認定レスキューダイバー)
ギター(ロックバンド ARCIST)
矢沢永吉(ファンクラブ歴30年)
横浜中華街および銀座B級グルメ
悩み事を聞くこと
人前でしゃべること
交渉ごと
たった一度の人生、せいいっぱい
生きなければ、生まれてきた
甲斐がないじゃないか(山本有三)
B型